「日本陸軍の精神主義・歩兵主兵主義・白兵主義はついに最後まで堅持
された」
「物質的威力よりも精神的威力が重視されていた。精神的威力さえ優位にあれば、兵力の格差も、火砲や重機関銃など敵の物質的威力の優位もおそるるに足らず、とする精神主義があらゆるレベルにはびこっていた」
このような見方が日本陸軍に対する一般的な評価だと思います。
しかし、とこの著者は疑問を投げかけます。
「単なる『非合理的』な『精神主義』のみで米軍に出血を強いることなど本当に可能だったのだろうか」
この疑問を検討するため、著者は戦争当時、米軍が内部で閲覧していた戦訓広報誌「Intelligence Bulletin(=情報広報)」の記事を見ていきます。
米軍兵士が日本兵や日本陸軍の戦法をどう見ていたか、また捕虜となった日本兵からの聞き取りによって、当時の日本兵が何を考えていたのかがよくわかります。
「ファナティックな非合理性」に満ちていたはずの日本陸軍の戦法や兵士の考え方が、意外にもそうではなかったことに驚かされます。
最後に著者はこう締めくくります。
「むろん、日本陸軍の『非合理性』を否定することと、それを正当化、賛美することとは全く別の話である」
私はこの本を読みながら、自分が当時のガダルカナルの部隊の指揮官だったらと考えてみました。食糧の補給もなく、武器・弾薬も充分でなく、医療体制もない中で、どういう手を打てたのか。
考えれば考えるほど、この著者の言わんとすることがわかるような気がしました。